LOGIN週末の昼下がり。鷹宮邸の広々としたリビングには、穏やかな日差しが差し込み、室内を柔らかな光が包んでいた。この日、鷹宮邸には、それぞれの面々が集まっていた。大きなテーブルを前に座っているのは、鷹宮正隆、和真、そして心春。その隣には、九条叶翔と櫻羅が並んでいる。そして反対側には、九条玲司と綾乃、鳳条美玲と神山雪乃、さらに康太の姿があった。一堂に会した顔ぶれは、それぞれに異なる事情や過去を抱えている。けれど、今この場に集まっているのは、誰かを責めたり、過去の過ちを蒸し返したりするためではない。これから先、どうすれば皆が前を向いて歩いていけるのか。そのための話し合いをするためだった。全員が席に着いたことを確認すると、和真は立ち上がり、ゆっくりと口を開いた。「先日の当主就任パーティーへはご参加いただき、ありがとうございました。少しトラブルはありましたが、無事終えることができました。本当にありがとうございます」和真は一人ひとりの顔を見ながら、丁寧に頭を下げた。鷹宮家の当主を引き継ぐということは、単に肩書が変わるというだけではない。これからは自分の判断が、多くの人々の生活や財閥の未来を左右することになる。その責任の重さを、和真は以前にも増して強く感じていた。そして、今回の就任を支えてくれた人々への感謝も、決して忘れてはいなかった。すると、隣に座っていた心春が静かに立ち上がった。彼女はテーブルを囲む皆の顔を見渡すと、背筋を伸ばし、大きく頭を下げた。「祖父と主人のために、みなさんありがとうございました」その姿を見て、正隆は思わず目を細めた。綾乃もまた、驚いたように娘を見つめていた。これまでの心春は、玲司と綾乃の娘であり、正隆にとっては大切な孫娘だった。周囲から守られ、愛情を注がれる立場にいることが多かった。もちろん、心春にも彼女なりの思いや責任感はあった。しかし、今、目の前に立つ孫娘は、ただ誰かに守られるだけの女性ではなかった。夫を支える立場として、自分の言葉で感謝を伝え、周囲への礼を尽くしている。その成長を目の当たりにして、正隆の胸には、嬉しさと誇らしさが込み上げた。――心春も、もう一人の大人として、自分の立場を理解し始めたのだな。正隆は微笑みながら、大きく頷いた。そして、前に座る綾乃へと顔を向けた。「綾乃。やはり、肩書というものは
玲子の豪華な高級マンションに着くと、壮真はようやく深く息を吐いた。大きな窓の向こうには、夜の街を彩る無数の明かりが広がっている。上質な家具に囲まれた室内には、外の喧騒など届かない。ここだけは、神崎財閥を襲っている危機も、世間から浴びせられる非難も、すべて別世界の出来事のように思えた。この何日もの間、壮真の心には、張り詰めた緊張と不安が澱のように積もり続けていた。会社の株価は暴落し、経営責任を問う声が日に日に強まっている。父の正蔵は脳出血で倒れ、いまだに意識が戻らない。今まで絶対的な存在として君臨していた父が、突然、何も語れない人になってしまったのだ。壮真にとって、どれも想定外の事態だった。いや、本当は、会社の経営が悪化していることにも、父の判断に頼りきってきたことにも、薄々気づいていたのかもしれない。しかし、それを正面から認めることはできなかった。認めてしまえば、自分が神崎財閥を率いるにふさわしい人間ではないと、認めることになるからだ。だからこそ、壮真は現実から目を背け、誰かに答えを求めていた。そして今、その相手は玲子だった。壮真は、玲子の胸に顔を埋め、久しぶりに甘えるように身を寄せていた。彼女の温もりに包まれていると、頭の中を埋め尽くしていた不安が、少しずつ遠のいていくような気がした。今の自分を責めず、必要としてくれる女性がいる。それだけで、壮真は救われた気になっていた。本来なら、神崎財閥の次期当主として、どれほど苦しい状況でも自ら判断し、事態を収拾しなければならない。だが、今の壮真には、そこまでの気力も覚悟もなかった。一刻も早く、この重苦しい現実から逃げ出したい。玲子は、そんな壮真にとって、まさに女神のような存在だった。ひとしきり愛し合った後、壮真は玲子の横に倒れ込むようにして横になった。全身から力が抜け、ようやく心が落ち着いてきたところで、ふと思い出したことがあった。玲子が神崎邸で口にした、あの言葉だ。――いい手が思いついちゃったから。あのときの玲子は、自信に満ちた笑みを浮かべていた。今の神崎を救う方法が本当にあるのなら、どれほど心強いことだろう。壮真は期待を込めて、玲子の顔を見た。「さっき言っていた、思いついたいい手ってのを教えてくれよ」玲子は、待っていましたとばかりにクスッと笑った。そして壮真の方へ体を寄せると
電話を受けた玲子は、スマートフォンを耳から離すと、満足そうに口元を緩めた。電話の向こうから聞こえてきた壮真の声は、明らかに焦りと不安に満ちていた。神崎財閥の株価は暴落し、世間からは経営責任を問われ、父の正蔵は病院で意識不明のまま。そして、自分自身も何をどうすればいいのか、わからなくなっているのだろう。そんな壮真が、最後に頼ったのは自分だった。「ふふっ……やっぱり私がいなきゃ、何にもできないんだから!」玲子は得意げに呟いた。これまで壮真は、神崎家の長男という立場に守られ、父親の意向に従うことで地位を保ってきた。だが、その後ろ盾が失われかけている今、彼には自分の判断で事態を切り抜ける力がない。玲子は、そんな壮真の弱さを誰よりもよく知っていた。そして、その弱さこそが、自分の存在価値を高めてくれるのだと思っていた。壮真が自分を必要とする限り、玲子は彼の傍にいられる。いつか美玲に代わって神崎家の正妻の座に収まることも、決して夢ではない。そう考えると、玲子の胸には、抑えきれない期待が膨らんだ。彼女は鏡の前に立ち、髪の乱れを整えた。高級ブランドの服に身を包み、アクセサリーの位置まで念入りに確認する。今の神崎家がどれほど窮地に陥っていようと、自分までみすぼらしく振る舞う必要はない。むしろ、こんなときだからこそ、自分が壮真を支える女であることを世間に見せつけてやりたかった。神崎邸の周辺には、ゴシップ記者が張り込んでいるはずだった。玲子はそれを十分に承知していた。記者たちが自分の姿を見つけ、カメラを向けてくることも予想していた。だからこそ、タクシーを降りるときも、少しも慌てなかった。背筋を伸ばし、堂々とした足取りで門をくぐる。カメラのレンズがどこかから自分を狙っていると考えると、むしろ気分が高揚した。――さあ、しっかり撮りなさい。私が神崎家に出入りする女だって、世間に教えてあげるわ。離婚した美玲が神崎邸を出たとはいえ、玲子が正式に壮真の妻になったわけではない。そのことを使用人たちは当然知っていた。玲子が玄関を通っても、誰も恭しく頭を下げることはなかった。挨拶こそするものの、そこには特別な敬意も、彼女を神崎家の人間として扱うような態度も見られない。玲子の眉が、ぴくりと動いた。自分は壮真にとって、これほど大切な存在だというのに。どうしてこの者たちは
九条ホールディングス最上階の会長室では、玲司と和真、そして叶翔が難しい顔でニュース記事を見ていた。テーブルの上には、神崎財閥と神崎グループに関する報道が次々と表示されたタブレットが並んでいた。画面を埋め尽くすのは、正蔵の意識不明、壮真の経営手腕への批判、そして神崎グループの株価暴落を伝える記事ばかりだった。かつて財界で確固たる地位を築いていた神崎財閥が、わずかな期間でここまで追い詰められるとは、誰もが予想していなかっただろう。しかし、玲司にとっては、単なる不祥事による株価の下落ではなかった。長年にわたって積み重ねられてきた経営上の問題が、壮真の不祥事をきっかけに一気に表面化したのだ。表向きの信用が崩れれば、隠されていた問題も次々と明るみに出る。そうなれば、神崎財閥はもはや、これまでのやり方を維持できなくなる。和真に至っては、いくら作戦だとわかっていても、父の正蔵が意識不明の中、神崎財閥がこんな事態に陥っていると知れば、父はきっと激怒するだろうと考えていた。――もしも耳が聞こえていれば、今すぐにでも目を覚ますのではないか。そんなことさえ考えてしまう。幼い頃から、和真にとって正蔵は逆らうことのできない絶対的な存在だった。どれほど理不尽なことを言われても、父の言葉には従わなければならない。そうやって長い年月を過ごしてきた。その父が、今は何も言わず、病院のベッドで眠り続けている。父の意識が戻ることを願う気持ちは、確かにあった。だが、目を覚ました正蔵が今回の事態を知れば、どれほど怒り狂うだろうか。その姿を想像すると、和真の胸には複雑な感情が渦巻いた。それでも、今は感情に流されている場合ではない。神崎財閥の未来を左右する重大な局面なのだ。手にしたタブレットをテーブルに置き、玲司が顔を上げる。その動きに合わせるように、和真も叶翔もタブレットを置き、顔を上げた。玲司は二人を見渡すと、落ち着いた声で説明を始めた。「この騒動の前、神崎財閥及び神崎グループ全体の時価総額が二兆円。発行済み株式が四億株。その際の株価が―――」「五千円です」玲司の言葉に続き、和真が答えた。和真は、すでに神崎グループの財務状況や株価の推移について、必要な情報を確認していた。数字を口にする声には落ち着きがあったが、その胸中は決して穏やかではない。自分がこれから引き受けよう
それからの神崎財閥の株価の下落は留まることがなかった。市場が開くたびに、神崎グループの株価は下がり続けた。わずかな反発を期待していた投資家たちも、次第に希望を失い、保有していた株式を手放し始めていた。売り注文が売り注文を呼び、株価の下落がさらなる不安を生み出す。神崎財閥という名門の看板は、これまで投資家たちにとって大きな安心材料だった。しかし、その看板を支えていたはずの経営陣が、次々と不信感を招く事態を引き起こしている。もはや、神崎という名前だけでは信用をつなぎ止められなくなっていた。株価が10%も下がったというのに、神崎財閥当主である、神崎正蔵は株主に対し、何の説明すらなかった。当然、株主たちの不満は日に日に膨らんでいった。会社の将来を信じて資金を投じてきた者たちにとって、経営トップから何の説明もないという事実は、株価の下落以上に不安を煽るものだった。当主である正蔵はどうしたのか。なぜ何も説明しないのか。神崎財閥は、この危機にどう対処するつもりなのか。問い合わせは関係各所へ殺到し、経営陣の対応を求める声は、もはや無視できないほど大きくなっていた。神崎正蔵が出て来ないならと、神崎壮真に対して株主たちも詰め寄ろうとしたが、神崎グローバルトレーディングに問い合わせても、社長の所在は不明のままだった。壮真は正蔵の入院する病院と会社を行き来していたが、株主や報道関係者に対して、自ら説明を行うことはなかった。本人にとっては、父の容態を気にかけながら、会社の対応にも追われているつもりだったのかもしれない。だが、外部から見れば、社長が姿を消し、誰も責任を取ろうとしないようにしか映らなかった。世間では、「尻ぬぐいもせずに社長が逃走した」、「国外逃亡したのではないか」などの憶測が始まり、ゴシップ専門の記者たちが嗅ぎまわっていた。一度火がついた噂は、もはや壮真の手には負えなかった。否定のコメントを出さないことが、かえって憶測を膨らませる。取材に応じなければ、都合の悪い事実を隠しているのではないかと疑われる。何をしても裏目に出る。その悪循環が、神崎財閥をさらに深い闇へと引きずり込んでいった。神崎グローバルトレーディングの社長室での、取締役たちを前に言い放った壮真の言葉も、ややごまかしてはあったが、社内関係者の証言として記事に取り上げられた。報
社長室の重い扉を開けると、取締役たちが次々に立ち上がった。壮真が姿を現すのを、彼らは今か今かと待ち構えていたのだろう。その顔には、焦燥と苛立ち、そして経営トップに対する不信感がありありと浮かんでいた。株式市場が開いてから、神崎グループの株価は急落していた。隠し子の存在、妻との離婚、そして鷹宮財閥当主による康太の紹介。週末に広まった一連の報道は、単なる経営者のスキャンダルでは済まされなかった。神崎財閥そのものの信用を揺るがし、投資家たちの不安を一気に膨らませていたのだ。このまま株価が下がり続ければ、会社の資金調達にも影響が出かねない。株主たちが経営陣への責任追及に動く可能性もある。役員たちにとって、もはや傍観していられる状況ではなかった。「社長!!どうするんですか!?」「社長はどうお考えなんですか!?」「あの報道は、本当なんですか!?」「社長!!」口々に壮真に向かって問いかけてくる。次々に浴びせられる声が、壮真の耳に突き刺さった。病院を出てから、彼は一度も落ち着いて考える時間を持てていなかった。父の容態、会社の株価、役員たちの反応。考えなければならないことばかりが頭の中を駆け巡り、何から手をつけるべきなのかさえ、整理できずにいた。それでも、ここで弱みを見せるわけにはいかない。自分は神崎グローバルトレーディングの社長であり、神崎財閥を率いる立場にある。社員たちも、取引先も、そして株主たちも、今の自分の言動を見ているはずだ。そう自分に言い聞かせながら、壮真は奥にある自分の席へと歩き出した。しかし、途中にいた役員の一人が、彼の腕をつかんだ。「社長、説明してください!このままでは、株主たちが黙っていません!」その瞬間、それまで必死に抑えていた壮真の怒りが爆発した。自分だって、どうすればいいのかわからない。父が倒れ、会社の株価が下がり、世間からは非難の目を向けられている。自分自身も追い詰められているというのに、誰一人として助け舟を出そうとはせず、責任ばかりを押しつけてくる。その苛立ちを、壮真は目の前の役員にぶつけた。「黙れ!!みんな席に着くんだ!!」社長室に怒声が響き渡った。壮真の剣幕に、その場の全員が口をつぐんだ。腕をつかんでいた役員も、思わず手を離す。先ほどまで騒然としていた室内に、重苦しい沈黙が落ちた。中には―――ああ